大学受験の進路選択(理系・文系)について,22才になった私が振り返る。
2019/11/04
私は22才です。今年,大学を卒業して社会人1年目になりました。
大学受験では理系を選択して,国立大学で電気系の勉強をしていました。
就職は電気とはまったく関係のない職種を選択しました。
どうしてこういうことになったんでしょうか。
大学受験の進路選択は雰囲気ゲー
高校生の頃は,その頃なりに精一杯自分と向き合っていましたし,自分が好きな道に進めているんだと思っていました。
小さい頃からネット検索に触れて育ってきたので,「世の中に対する万能感」みたいなのは人一倍ありました。
でも,大学生活を過ごして後の自分から見ると,その頃の私ってやはり相対的には空っぽなんですよね。
もう少し具体的に言うと,「自分はどう生きたいのか?」「自分の興味・関心は何か?」を問うにしても,選択肢の存在を認知していなければ興味を持ちようがない世界って多いわけです。
結局伝えたいことは
そういう意味で,私は進路選択に失敗したかなという感覚は少しありますし,まぁ仕方なかったかなという感覚もあります。
大学受験を控えている高校生向けに,この記事で伝えたいことを早めに総括すると
「自分が,学習コストがかかる分野に興味があると思い込んでいる可能性が少しでもあるなら,もう少し自由の利く学部に行くなり・浪人するなりして,じっくり勝機を伺ったほうが長期的な人生に合理性がでるんじゃないか」
ということです。
一般化して書くのが難しいので,私の進路選択とその後の具体例を交えつつ以下に記載しますね。
高校生の頃に考えていたこと
私が大学で理系,工学部,電気系という選択をした理由には,以下のようなものがあったと記憶しています。
- 安定性を求めた
- リーマンショックという不況があった時代で,失業等のニュースに影響された
- 「大学は就職予備校だ」と思考を割り切っていた
- 情報系のプラットフォーマーとして,電気インフラの基盤は無くならないと考えた
- 人と話すのが苦手だったので,手に職をつけて技術力で生きていきたいと考えていた
- 何となく理系信仰
- 福島県などの田舎で育ったため,電力とか,三菱とか日立とか,そういったものに携わっている人が安泰・高収入だという感覚が強かった
- 文系=理系科目から逃げた人達 と一緒にされたくないという感覚が強かった
- 文系=誰かが決めたルールを天下り式に暗記する勉強 という感覚が強かった
- 実験機器や設備が使わせてもらえないのに,文系学部は何のために高い学費払ってるの?と思っていた
- 「理系に行っておけば,文系へのやり直しも効く」みたいな大人の言葉を真に受けた
- 興味関心
- ゲームや電気機器をいじるのが好きで,仕組みを知りたかった
- 「電気系も情報系も広く学べる」みたいな言葉を真に受けた
- 本当は情報系に興味が強かったが,当時2chで「IT土方」などが話題となっており,酷い扱いを受ける職業だと思っていた
大学~現在での心境の変化
安定志向について→△
そして今思うことですが,上に挙げたような選択は,弱者の選択だったかなと思います。
理系学部は大抵,4年間のかなりの時間を実験やレポート,授業の復習に費やし,授業もほとんど選択の余地がなく規定されたものになります。
それは,凡人がある程度のリターンを得るために,何かを犠牲にして専門性のセーフティネットを持つということです。
しかし,傲慢にしか聞こえないと思いますが,私は大学に入って自分自身にかなり可能性を感じてしまいました。
例えば「5年後こうなっている」と明確に想定できる範囲内での成長ではなく,5年後どうなっているかなんて予測できないような,既知の限界を超えた成長ができる人間が自分なのだと本気で信じてしまいました。
そうなると,上に挙げた選択って,戦略的にはほとんど間違いかなと思うんですよね。
理系学部でモラトリアムが薄れてしまうような生活を送るよりも,制限が緩く,多様なことに挑戦できる環境に身を置くほうが実りがあったかもと思います。
そういう試行を通していけば,技術者のような「誰かに使われることによる安定」ではなく,公務員のような「立場に頼った安定」でもなく,もっと高次に自分自身の力を強めることによる安定が得られるかなと思っています。
何となく理系信仰→○
これは就活したときに感じたことですが,一般的な学生のレベルだと理系のほうが実行力みたいなものはあるなと思いました。
自由な環境下だと意識はどんどん下に落ちていくので,常に高い志を持っていないと,
「大学に進学し,サークルやアルバイトに打ち込みました。楽しかったです。以上」
といった4年間になりがちです。
一方で,理系学生の場合は「嫌でも何かに取り組む環境」には置かれるので,みんなある程度の実行力をもっています。
ただ,あくまで一般的な学生のレベルの話です。
「ビジョンないし,勉強してない」みたいな学生より,「ビジョンないけど,勉強してる」みたいな学生のほうがマシだよねというレベル感です。
本当に優秀な人間は,文系理系とか関係なく,日々常に当たり前のように自己研鑽をしていますし,学生かどうかとか,もう関係ないです。
ここらへんは私の具体的な体験や出会いで感じた衝撃によるものが大きいので,うまく言葉にできないんですが,なんかビジョンの有無だけで次元が違う話になるんですよね。
あと,「理系に行っておけば,文系へのやり直しも効く」なんて手放しに言えることではないです。
知識や経験は福利で生きてくるので,後から努力したって遅いことはあります。
人生はいつからでもやり直せるというのは嘘です。
興味関心→✕
大学の勉強は実学ではなく,抽象的なアカデミズムです。
大学を卒業しても家電製品やスマートフォンがどう動いているのかが分かるということはありませんでした。
学習内容に興味を持つには,それを学ぶと何ができるようになるのか,どんないいことがあるのかを理解し,ある程度の目的を設定しないといけません。
私はこのあたりの目的がブレて,自分の専門に興味が持ちづらくなっていきました。
高校生のうちから,先端の学術だけでなく,高校の範囲の一歩先の学習にはどんな泥臭さがあるのかを把握できていると,納得した大学生活が送れるのかなと思いました。
まとめ
結局私が言いたかったのは,自分がやりたいことが不明確なら,楽な環境に身を置いていたほうが選択肢が広がるんじゃないかということです。
すごく,しょうもないです。
楽な環境だと堕落するリスクはあるんですが,自分に自信があるなら,そういうリスクをとれなかったこと・チャレンジをしなかったことを卒業後に後悔してしまうかもしれないです。